20代の時なにしてた?あの人の個々ルーツ①

お金がたくさんあるとか肩書きがどうとか興味はないけど、自分の仕事と人生を楽しんでいる人ってかっこいい。でも、待てよ。社会人デビューの頃はどうだったのかな。飲食の仕事に携わる素敵な5人の「20代」。何者かになるための大切で愛おしいそれぞれの助走期間を赤裸々に語ってもらいました。

株式会社 ステディワークス 代表取締役

田中 徹

1980年、三鷹市生まれ。大学卒業後、飲食店経営を志し、大手外食チェーンに就職する。その後、料理を極めるためのダイニングバーでのアルバイト勤務を経て、株式会社 アイディーに転職。店長、マネジャーの経験を積み、独立を果たす。2011年2月、虎ノ門に「クラフトビアマーケット」をオープン。現在、都内10店舗を展開する。


田中さんの20代

勉強よりいつも遊びが優先の大学時代。

行きつけの店で仲間と飲み明かし、そして大好きな音楽とバンドに夢中だった。


飲食という新しい目標にスパッと方向転換できた

 好きな音楽を仕事にできたらーーそうぼんやりと思い描いている20才の若者はきっと数え切れないほどいるだろう。田中徹さんもそんな「どこにでもいる普通の大学生」の一人だった。勉強よりも遊ぶことに夢中。確たる目標もないまま、バンド活動したり、ライブやフェスを楽しんだり。ところが、いざ就職という段になると、音楽業界がいかに狭き門かという現実に打ちのめされる。途方に暮れて、それでも、夢をあきらめきれず……となる人が多い中、彼は違っていた。

「挫折感はありましたよ。癒しを求めていたのかな。同級生がアルバイトしていた焼酎バーに入り浸ってました。店に行けば必ず知ってる誰かがいたり、店長さんがあれこれ相談に乗ってくれるのもうれしくって。いいお店だな。こういう店を自分でやってみたら、おもしろいだろうなと思うようになっていきました」

 時は焼酎ブームの真っただ中。焼酎にハマったのも大きかった。稀少なプレミア焼酎を求めて酒屋を巡り、入荷日を待ち構えてゲット。飲むためとは別に保管用も購入していたという、本人曰く「コレクター的なマニア」。好きなものはとことん追求する、そんな性格であればこそ、迷いなく次のステップに進めた。

「20代はがっつり飲食で働きました。飲食という新しい目標にスパッと方向転換できたのが良かったのだと思います。他の選択肢は全部捨てて、早く独立しようと常に意識していました。最初の会社を選んだのも、計数管理をきちんと教えてもらえるという定評があったから。経営には、まず数字を理解できなければならないと考えていました。その次は料理を学ぼうと丸1年、アルバイトでキッチンに入りました。そこではアルバイトでフルタイム働く人の大変さがわかり、料理の基礎も身につきました。ただ、料理を極めるのには一生かかる。それより小さくてもいいので自分の店を持って、店長をやりたいという気持ちが強くなりました」

 そして、3つ目の修業先として田中さんが選んだ会社が株式会社 アイディー。「Gyo-BAR」など立ち飲みバルを中心に展開する会社で、店長を務めた店のサイズ感は独立後のイメージ通り。とはいえ、あれほど「早くやらなきゃといつも焦っていた」にもかかわらず、ここで5年を過ごすこととなる。

「社長との距離が近くて、すごく仲良くなれたんです。顔や姿も似ているようで、人から『兄弟なの?』と聞かれたり、なぜかお互いに気が合いました。雑誌で見て気になる店があると、連れて行ってもらい、奢っていただいたりもしました。社長には常日ごろ『お客様以上に店を知らなければ良い店はつくれない』と言われていましたしね」

 食に関する雑誌は全部買って読み漁り、「自分自身を更新する」姿勢を常に持ち続けた。入社後、わずか2・3ヶ月で店長に就任。たちまち人気店をつくりあげた。

「とくに決まったメニューもない立ち飲みバーです。入社した当初は焼酎やサワーが中心だったのを、ワインと生ハムのようなおしゃれな店に変えていきました。和の雰囲気だった内装をビストロ風にしたり、けっこういろいろなことをやりました。ビアサーバーの隣にDJブースを作ったりもしました。いつの間にか音楽好きが集まる店になり、みんなで盛り上がるのが楽しかったです」

 順調に業績を伸ばし、3年目にはマネジャーとして複数店舗を管理する立場に。しかし、現場を離れざるを得ない状況に立たされると、今度は数字がみるみる落ち込んでいった。

「アドバイスしても一向に良くならず、お客様から『楽しくない』という声が漏れ聞こえるようになっていました。お客様の気持ちを無視して、テクニックに走ってしまっていたのかもしれません。店に戻って、スタッフとミーティングを開きました。1人ひとり意見を聞いて話し合い、〝とことんお客様志向の店をつくろう〟と決めました。1杯目のドリンクを注文して最後のお会計まで、どれだけ喜んでいただけるか。それをみんなで1つ1つ考えながら表現していくと、接客が変わりました。同じメンバーなのに考え方を変えるだけで、一気に数字が上がったのです」

 ついには初代店長が保持していた売上レコードを塗り替え、新記録を樹立。大きな成功体験をつかむ。

「ビジョンを共有する大切さを知りました。そういう経験を経て、ビジョンってどういうものなのだろうと考えて勉強を始めました。独立する1年くらい前のことです。寝る間も惜しんで本を読みました。そのとき、学んだのは〝お客様志向〟の大切さです。お客様が店に来てくださり、お金を払っていただけるのも全部お客様の気持ちがあってのこと。やっぱり、そこが優先順位の一番だという考えに至りました。もう1つ、気づかされたのは従業員と経営者の考え方の違いです。経営者になると180度世界が変わる。チャンスを追い求め続けなければなりません。社長とも話をしたのですが、『成功の近道は何ですか?』とたずねると『自分がとれる最大限のリスクをとり、それを選び続けることだ』と言われました。その言葉は今も胸に響いています。失敗を恐れずにリスクをとらなければ、決して一番にはなれません」

 経営者になるための経験を重ね、知識やスキルを磨くのと同時に、田中さんが継続して行っていたことがある。それは〝社長へのプレゼン〟だ。

「独立したいとアピールして、プレゼンを続けていました。中期的な計画を立てて資料を用意し、『ここがわからない』と言われれば、また作り直しての繰り返し。今思えば、事業計画書の作り方を少しずつ教えてもらっていたのでしょう。そうするうちに、独立するには一番にならなければと考えるようになりました。世界一を謳うのはキケンだし(笑)、地域で一番というのもちょっとなと思って、日本で一番にしました。店を出した瞬間に日本一になる企画を作ろうと考えて、やっとこれはいけるというものができて、社長に見せると『いいんじゃない』とあっさり言われました」

 4回目のプレゼンを認められ、独立を決意。2011年2月、「クラフトビアマーケット」の1号店を虎ノ門に構える。世間ではまだ〝クラフトビール〟という言葉さえ耳慣れない頃、田中さんは目標に向けてまっしぐら駆け抜けた20代を終え、ちょうど30才になっていた。


バンドマンを支援するビールメーカーです

現在、「クラフトビアマーケット」は都内10店舗を展開。クラフトビールブームの火付け役でありながら、「クラフトビールが日本一安い店」としても親しまれ、ファン層を拡大し続けている。のみならず、「クラフトロックフェスティバル」を主催。クラフトビールと音楽を一緒に楽しめる音楽フェスを企画し、大成功させている。

「好きなことだけを無理矢理にでもやってきました。飲食店も音楽もそう。とりあえず好きなことを仕事にして、それから、うまくいく方法を探ればいいんじゃないかな。そうすれば後々、苦しいときや大変なときでも〝好き〟が力になってくれる。人は好きなことでしか、がんばれないものだから。これは仕事にならないと思っているようなことでも、やり方次第では仕事にできます。もともとバンドマンだったのが、気づいたらフェスの主催をしてたりとかね」

 今も純粋に好きだから、この仕事を続けているという。来年には、集大成ともいえる新業態の開業を予定。そこには、田中さんの〝好き〟が全部ぎゅっと詰まっている。

「いよいよ、ビールの醸造をスタートします。醸造所とライブを楽しめるレストランがあって、中には音楽スタジオもつくる予定です。そうすれば、スタッフがいつでも練習できるから(笑)。バンドマンを支援するビールメーカーを目指します」 



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1. 奥さんと共通の趣味であるロックフェスへ!「ⅠLOVE ROCK」は今も変わらず。

2. 「Gyo-BAR」で店長を務めていた時代。店づくりのすべてをここで学ぶ。


30代の今なにしてる?

大好きな飲食と大好きな音楽を融合させ、クラフトビールと音楽を同時に楽しめるロックフェスティバル「CRAFTROCK FESTIVAL」を企画・運営。多くのファンを魅了している。

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