ミシュランガイドの歴史から紐解く ~身近な伝統食 日本料理の魅力~

ユネスコ文化遺産登録やミシュランガイド掲載など、日本料理って凄いみたいだけど、身近すぎてどう凄いかピンとこない。。でも日本が誇る文化だけあって本当に凄いんです!知らなきゃもったいない!ということで、亜細亜大学の茂木教授による特別ゼミナール開講します!

 年の瀬に近づくと、テレビなどで「今年もミシュラン発表」という言葉を耳にする。洗練されたお店や見るからにおいしそうな料理が紹介されていく。ミシュランガイドは皆さんもご存じの通り、「☆」マークの数でレストランが評価されている。「☆☆☆」は「わざわざ訪ねていく価値のあるお店」だという。フランス発のガイドなのだから、フランス人が地球の反対側から、わざわざそのレストランで食事をするためだけに各所に訪れるということもあるのだ。

 もっとも私のような庶民には、ここで紹介されているお店は高嶺の花がほとんどではある。しかし、ミシュランに載っているというだけでいつかは訪ねてみたいと思ってしまうから不思議というか、ミシュランの威力も相当なものだと認めざるを得ない。

 ミシュランガイドが最初に世に出されたのは1900年で、もともとはフランスの都市をアルファベット順に並べ、その街のホテルを掲載したものであった。当時、宿泊者は宿泊したホテルで夕食を取っていたので、日本に置き換えれば旅館案内本である。ホテルとレストランが別々になったのは1924年版からで、その少し後から星印で評価するスタイルが採られた。ミシュランは、いまではどこでも普通に行われている星の数で評価を格付けするというスタイルを普及させた張本人である。

 この伝統と格式あるミシュランガイドが、ヨーロッパの外へ出たのは、実は21世紀になってからである。その始まりは「2005年ニューヨーク版」。ニューヨークといえば誰もが20世紀を代表する都市、美食の都とも思うだろうが、フランスの食文化からみるとやっと21世紀になって訪ねてみたいレストランが見つけられたというのだろうか。この2005年ニューヨーク版での星付きレストランは35軒であった。

 そして、ミシュランはアジア進出にも着手する。ミシュランガイドの総責任者、ジャン・リュック・ナレ氏は2006年、ひそかにアジア歴訪の旅に出たと伝えられた。彼が引き寄せられた都市は東京だった。直ちに調査員による調査が開始された。

 2007年秋11月19日、東京有楽町国際フォーラムで「ミシュラン東京2008年版」がマスコミを集めて発表された。11月22日ミシュランガイドが書店店頭に並ぶや初版12万部は4日で完売、15万部増刷り完売、最終的には30万部のベストセラーとなり、関係者を驚かせた。が、真に驚いたのは、本誌刊行を待っていた世界中のグルマンといわれる人たちであり、当のジャン・リュック・ナレ氏ではなかったかと思う。東京版三つ星レストラン軒数8軒、二つ星25軒、一つ星117軒、星付きレストラン計150軒であった。世界に衝撃が走った。

 美食の都を自他ともに認ずるパリ版の同じ年は、三つ星こそ9軒だったが、二つ星5軒、一つ星50軒、計74軒。つまり東京の星付きレストランの数は、本場パリのほぼダブルスコア、ニューヨークの4倍。ナレ氏は激白する。

 「東京は驚くほど素晴らしい飲食店が多かった。…日本料理はクオリティも素晴らしい。…数世代、数百年かけて伝えられる技術と伝統…日本の飲食店の相当数はだれも追いつけない専門性を確保していた」

↑ミシュランガイド2018にてビブグルマンに選出された「新橋 かま田」。ここで出されるおでんは具材ごとに使う出汁や、煮込む時間・温度を変えたこだわりの逸品。他では食すことのできない唯一無二の職人おでん、ぜひ一度ご賞味あれ。 


 この所感は、序の口であった。ナレ氏はその後日本に傾倒して、2ヶ月に10日ほどの滞在を繰り返したという。2009年10月に「京都・大阪2010版」が出版された。掲載された三つ星レストラン7軒、二つ星25軒、一つ星118軒、計150軒。東京と全く遜色ない上に、掲載拒否店が20軒もあったとされる。掲載拒否とはミシュランにとっても前代未聞、驚天動地の出来事であったろう。ナレ氏はついには次のように独白している。

 「世界一の美食の都は、他を大きく引き離して東京だ。二番は京都、パリは三番、四番が大阪で五番がニューヨークだ。日本は食べるだけの目的で行く価値がある国だよ。国全体がグルメ列島なのだ」

 2011年春、フランス・パリのベルサイユ宮殿でフランス国内のVIP約650人をゲストとする「世紀の晩餐会」が開催された。2010年に「フランスの美食術」がユネスコの無形文化遺産に登録されたことを祝す会であった。料理など食文化が無形文化遺産に登録されたのは、これが初めてのことであった。晩餐会の料理を担当したのは世界から集められた60人のトップシェフ。

 この時に日本から招かれた三國清三シェフ(「オテル・ド・ミクニ」主宰)は前菜を担当し、「オマールエビのうま味ジュレ 金沢の金箔包み」を提供した。晩餐会の冒頭に、「フランスの美食術」を支えてきたトップシェフたちの巡閲があったが、その先頭に押し出されたのは、三國氏であった。また、東日本大震災はフランスでも大きく報じられており、晩餐会は急遽チャリティの色合いが強まり、その収益の一部は復興支援に供されることとなったのである。三國氏の胸には万感迫るものに溢れていたことは想像に難くない。

 三國氏は帰国するにあたって重大な情報を持ち帰った。三國氏は、当時ほとんどの日本人がそうであったように、実はこの会の趣旨そのものをよく知らなかったのである。早速に晩餐会の翌日から日本大使館関係者らの協力を得つつ集めた資料とともに、京都の料亭「菊乃井」の村田吉弘氏のもとへと赴いた。和食は、日本料理は、どうするのかと談じたに違いない。村田氏はほどなく京都府知事に「ユネスコの無形文化遺産」登録への要望書を提出した。しばらくして農林水産省で正式の検討会が発足した。2011年7月のことであった。

 そして2013年12月、アゼルバイジャン・バクーで開催されたユネスコ「無形文化遺産保護条約政府間委員会」で、「和食:日本人の伝統的な食文化WASHOKU:Traditional Dietary Cultures of the Japanese)」のユネスコ無形文化遺産への登録が決定した。

 「和食:日本人の伝統的な食文化」とは何かというと、次のように説明されている。一つ目は、「多様で新鮮な食材とその持ち味の尊重」、二つ目は「健康的な食生活を支える栄養バランス」、三つ目は「自然の美しさや季節の移ろいを表現」、四つ目は「年中行事との密接な関わり」である。だから、高尚な技術を駆使した日本料理というのではなく、地方地方で営まれているわりと日常の食である。イメージ的には郷土食とか「地産地消」に近い、いたって身近な食である。

 私たちの身近にある「食」の環境は、世界からはとてつもなく魅力的に見られているということを、ミシュランガイドやユネスコ無形文化遺産登録は気づかせてくれる。実際、外国人観光客と思しき人たちが日本中を闊歩していて、名所観光地は言うに及ばず、全国津々浦々で遭遇する。彼らはどこに行っても日本の食を満喫してどこでも感動しているように見受けられる。私たちの普段の外食生活も郷土の食も、意識すればごく当たり前の食生活が魅惑的なのである。


講義の終わりに・・・

日本料理は世界的に激賞されている誇らしい文化の一つ。ミシュランガイド初登場から10年を迎えたミシュランガイド東京版。これからどのように日本料理の文化が広がっていくのか今から楽しみですね。

茂木信太郎

亜細亜大学 経営学部ホスピタリティ・マネジメント学科

教授、博士(観光学)

食品需給研究センター、外食産業総合調査研究センター(外食総研)、フードシステム総合研究所を経て信州大学経済学部、信州大学経営大学院にて、「経営学」「マーケティング」「地域マネジメント論」などを講義。文部科学省海外研究員としてアメリカ・イタリアで研究。立教大学、女子栄養大学、松本大学、にて非常勤講師、2009年より現職、「フードサービスマネジメント論」「ホスピタリティ・マネジメント特別講義」など担当。なら食と農魅力創造国際大学校、法政大学大学院、川村女子学園大学目白観光文化研究所研究主幹兼務。著書『フードサービスの教科書』(2017年、創成社)など多数。


参考文献:国末憲人『ミシュラン 三つ星と世界戦略』2011年、新潮選書/竹田恒泰『日本はなぜ世界でいちばん人気があるか』2011年、PHP新書/三國清三『食の金メダルを目指して』2017年、日本経済新聞社
文・構成・監修/茂木信太郎(亜細亜大学 経営学部ホスピタリティ・マネジメント学科 教授)


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