アーティストを目指した学生時代。
“食”の世界の楽しさを知ることで受け入れられた「才能の壁」
お金がたくさんあるとか肩書きがどうとか興味はないけど、自分の仕事と人生を楽しんでいる人ってかっこいい。でも、待てよ。社会人デビューの頃はどうだったのかな。飲食の仕事に携わる素敵な5人の「20代」。何者かになるための大切で愛おしいそれぞれの助走期間を赤裸々に語ってもらいました。
第2回は、化学調味料を一切使わず、身体に優しい「eat good」を味わえるレストラン・カフェを5店舗展開する、株式会社 エピエリ 代表の松浦 亜季さんが登場です。
松浦 亜季
株式会社 エピエリ エグゼクティブチーフ
1975年生まれ、兵庫県出身の小田原育ち。幼少時から絵が好きで、美術科のある高校に進学し、付属の大学の芸術学科に入学。卒業後はワイン輸入会社に就職するが半年で辞め、グローバルダイニングへ。その後、多国籍料理屋や和食屋を経て、2004年に『麹町カフェ』をオープン。現在はキッチンに立ちながら5店舗を経営している。
■芸術を愛した学生時代。飲食の楽しさに目覚める
「20代はとにかく何でも吸収していました。食のことも、アートのことも。体力もあったから、よく働いたし、よく遊んでもいましたね。ひとつ確かだったのは、自分に座ったままの仕事は無理だということ(笑)」
と、明るい笑顔で話す松浦さんは今、大好きな料理を仕事にして、日々、キッチンに立っている。彼女が飲食の楽しさに目覚めたのは、高校生のとき……。
「小さい頃から絵本や本が好きで、家にある世界の美術全集を見ては色鉛筆やクレヨンで自分も絵を描いていました。だからずっと芸術の道に進みたいと思っていたんですけど、高1でハンバーガー屋さんのアルバイトをしたとき、いろんな種類のハンバーガーを誰よりも早く覚えてつくることができたんです。それがなんだか楽しくって、大学に入ってからも飲食のアルバイトを選んでいました」
大学時代はレストランでアルバイトをしていた松浦さんは、そこではじめて料理らしい料理をつくることになる。ハンバーガーとはちょっと違うその体験に彼女の心は動いた。
「料理が好きな両親のもとで育ったので、私も料理はもともと好きだったんですけど、それが仕事になるって、なんだかおもしろいかも……と漠然ではあるけれど確かに感じていました」
そして、進路を決める大学3年生のとき。松浦さんは芸術の道に進むことは難しいと判断していた。そこで頭に浮かんだのが〝食〟の世界だった。
「いろいろな国の美術館を巡って、世界にはこんなにも素晴らしいアーティストがたくさんいるけど、自分には才能がない……と気づいていたし、〝食〟の楽しさは知っていたので、その道を進んでみようと決めました。でもまだ〝食〟=料理とは思ってなくて、就職したのはワインの輸入会社でした」
しかし彼女は、この会社をわずか半年ほどで辞めてしまう。その理由は……。
「ワインのインポーターという仕事に惹かれて入社したけど、実際は事務作業ばかりで1日中座りっぱなし。仕事の試飲会でレストランに行ったときに、ワインそっちのけでキッチンの中をのぞいていたら上司に『君はこういうときだけ楽しそうだね』と言われて。よっぽど事務仕事のときは元気がなさそうだったんでしょうね(笑)。だから辞めると言ったときもすんなりと快諾されました」
こうしてワインの輸入会社を辞めた松浦さんは、新聞の求人募集を見てグローバルダイニングの面接を受け、採用される。
「とにかく『飲食がやりたいんです!』とアピールしたのを覚えてます。社長に面接していただいたんですが、『どこで働きたい?』と聞かれて悩んでいると、複数枚コピーした履歴書に社長の判を押したものを渡されて『好きなところに面接に行きなさい』と仰ったんです。そこで、会社から一番近い店舗だった表参道のラ・ボエムに行ったんです(笑)」
↑ 良いを食べる「eat good」という考え方を広めたお店として注目を集める「麹町カフェ」のひと皿。売上規模ではなく、価値観で世の中に影響を与えられる飲食の魅力を体現しています。
■いろいろな飲食店で働き、料理を仕事にすると決意
「ここではピザやパスタなど、いろいろと調理させてもらいました。ただ勉強になったのは、調理というよりは、レストランにはウェイターやバーテンダー、料理を下げるバスなどのポジションがあるということ。開店前に全員でミーティングするのがカッコいいなぁって思ってましたね」
それから1年半後、他のお店でも働いてみたいという気持ちが高まっていた松浦さんが転職したのは、オーナーがカナダ人でシェフはアメリカ人という一風変わった雰囲気の、多国籍料理のレストランだった。
「お店がら、外国人のお客様がすごく多かったです。だから、ビーガンの人がいたり、ベジタリアンの人がいたり……で、いろんな食の人を見ることができて新鮮でした。ここのキッチンの先輩がある日、自分の知り合いが働いている和食屋さんがすごくいいっていう話を私にしたんです。それで食べに行ってみたら、器も料理もとにかく素敵で、すぐに履歴書をだしちゃいました(笑)」
こうして今度は和食屋で働くことになる松浦さんだが、その世界は今までとは比べものにならないくらいに厳しかったようだ。
「今まではお店にある包丁を使っていたんですが、自分のをすぐ買ってこいと言われて、河童橋に買いに行きました。私は調理師学校出身ではないので、とにかく一から修業って感じで、毎日が勉強の連続でした。一度は夫の転勤でこのお店を離れますが、全部で3年ほどお世話になりましたね」
そして30才を目前に控えた松浦さんのもとに、ある話が舞い込んでくる。
「夫の知り合いが小さなお店のオーナーで、居抜きでお店をやってくれる人を探していたんです。わりといいオーブンとコーヒーマシンがあったので、カフェならすぐできる! そんな感じで、カフェをはじめることになりました」
これが麹町カフェの1号店だった。
↑ 温かみのある落ち着いた雰囲気の店内。イスやテーブルなどは、松浦さんやご主人が自らアンティークショップで買い付けたもの。
■はじめてのカフェを開店。今、改めて思うこととは
現在の麹町カフェのこだわりは、とにかく自家製でなんでもつくる。そうなるに至ったのには、アメリカのひとりの料理家の影響がある。
「前のカフェを立ち退きしなくちゃいけなくなったとき、同じ町で同じ名前のカフェを続けようと迷いなく決めていました。せっかくだから次は自家製でやろうと……。アメリカの料理の常識をくつがえしたアリス・ウォーターズの〝シンプルでいいからちゃんとしたものを食べましょう〟という考えに感銘を受けたのが、その理由のひとつです。実際に彼女がオーナーを務めるサンフランシスコのシェ・パニースに行って、その味を感じ、キッチンの中を見せてもらえたことも大きかったですね。向こうのシェフはとても優しくて、私がシェフだということを伝えたら、料理の説明までしてくれて、すごく楽しそうに働いている姿が印象的でした。化学調味料に頼らず、いろんな食材を使って、それらを組み合わせて、ちゃんとおいしくかたちにすることこそが料理人の仕事なんだと実感させてくれましたね」
イタリアンに多国籍、和食、そしてカフェ。料理が好きという気持ちを胸に走り続けた彼女だが、なぜそんなにもがむしゃらにがんばることができたのか……。
「すべてが行き当たりばったりだったけど、いい運や人との出会いには恵まれていましたね。20代を思い返すと、よく何も疑わずにがんばっていたなぁと思います(笑)。損とか得とか関係なしに、ただただ一生懸命でしたね。まだインターネットが主流じゃなかったので、情報がゼロの状態で飲食の世界に飛び込めたのがよかったのかもしれないです」
では、20代の頃と今とを比べてみて、変わったことはあるのだろうか。そして変わらないこととは一体?
「20代は、吸収のとき。そして、30才からは吸収したものをどんどん外にだしていく……そんな感じですかね(笑)。変わらないのは自家製へのこだわり。出来合いのものをパッと買ったり、化学調味料を使うと楽だとか便利だとか思わずに、シンプルな調味料でどうやったら食材が美味しくなるのか。食材はどこから来たものなのかちゃんとわかっているのか。そういう考え方の人がもっと多くいてもいいと思います。そうすると高級じゃなくてもお料理にストーリーがうまれてくるので、仕事にも意味がでてくる。仕事は作業にしちゃだめで、ちゃんと意味を持たせないと楽しくないでしょ、といつもスタッフにも話してます」
最後に、松浦さんが学生たちに伝えたいメッセージとは……。
「食べることは人間にとって絶対に必要で、食べたものが人の体をつくる。だからこそ大事にしなくちゃいけないし、飲食業はこれから先も廃れない仕事だと思います。今の世の中は情報に溢れていますが、実際に自分の目で見て感じることを大事にして、いろいろなことを吸収していって欲しいですね
↑ 無農薬野菜の栽培をしている松浦さんのご両親が営む農園。お店で使う安全で新鮮な野菜をお店のスタッフみんなで収穫します。
↑ 美大出身の松浦さんが手がけるオシャレな「麹町カフェ」のメニュー。
■40代の今なにしてる?
化学調味料は一切使わない身体に優しい「eat good」を味わえるお店を5店舗展開。現在も多くのスタッフと共に「喜んでもらいた い」その変わらぬ想いで日々お店に立っている。
麹町カフェ
東京都千代田区麹町1-5-4 1F
Phone 03-3237-3434
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